LGBTの作家が描くやさしい初恋の物語『ぼくのほんとうの話』うさきこう

私たちが普段読んでいる“ボーイズラブ”とは一体何なのか

 

 幻冬舎のホームページでウェブ連載されていたこの作品を読んだ。

 

www.gentosha.jp

 

 著者は、LGBTのGであることを公表し漫画を書いているうさきこうという男性である。

 

 

 

チョット感想

 

 懐かしさがやばい。この主人公の男の子、「りぼん」を読んでいる。懐かしすぎる。クラスメイトの女の子がリボンの付録のでっかいリボンを付けてきたり(これは「姫ちゃんのリボン」かな?)、天使なんかじゃないのスドーザウルスによく似た気ぐるみを買ってもらって喜んだり、そもそも絵柄の雰囲気が、「こどものおもちゃ」とか「赤ずきんチャチャ」によく似ている。この頃の、りぼん・ちゃお・なかよし、どれも派閥があって個性があって今ではとても小学生が読むような内容ではなくなったけど、漫画もアニメも情操教育の一部だったよなぁ。
 お話は「やさしい恋」と「世界への違和感」が同時並行で進んでいく。意地悪なことを言う人もいるけれど、友達はみんなやさしい。みんな違うところがあって、得意なこと苦手なことがあって…そこまではみんなと一緒なのに、「男の子が好き」という部分だけちがう。
 「リボンが好き」なように認めてもらえるかもしれない、でもそうじゃないかもしれない。小学生の男の子がずーっと、自分と世界の噛み合わない部分について考えている。
 最近では、ドラマなんかでも「同性」の愛情について一部取り上げることが多くなった。ただそのかかれ方は、限定的で排他的だと感じる。 
 「あの人達は特殊なんだから差別をしてはいけないんだよ」という捉え方より、「へーそんな人もいるんだ。今日の晩御飯何?」くらいの当たり前が欲しいなと思う。
 そしてきっと、ラブレターを渡しても正人くんにはその当たり前ができたんだろうなあと温かい気持ちになった。

 

 

 

触手…いえ木の根っこです!!!『鬼が慕うは祟り神』灰崎めじろ

お食事触手プレイ?『鬼が慕うは祟り神』灰崎めじろ

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あらすじ

 

「しい様を一人にしません。俺がずっとお側にいます」鬼と人のハーフ・椿丸は、“見世物”として賊に捕らわれていたところを、廃退した森を司る祟り神によって救い出される。ただ一人で永久の時を過ごす祟り神を、美しく思った椿丸は「しい様」と呼び慕い始める。数年後、“性欲が強い”鬼の血を継ぐ椿丸の欲求が爆発! しい様の触手に行為を手伝ってもらうようになり――? 一人ぼっちの祟り神×身寄りのない鬼と人のハーフ、孤独な二人が今惹かれあう――! 汁だくな単行本描き下ろしも収録。

 

登場人物

 

椿丸:鬼と人間のハーフ。母が死に人間に捕まってから見世物として各地を転々とし暮らしていたが、しい様の森をたまたま通り救われる。純真無垢で鬼の子ゆえに性欲旺盛。しい様のことが大好き。

祟り神・しい様:元は齢千年を超えるご神木であったが、いつしか信仰を忘れた人々に切り倒され山の邪気を抑えられなくなり祟り神となった。祟り神となってもなお土地の邪気を浄化していたがそこに椿丸が現れる。

 

この〜木なんの木気になる木〜

 

 「純真無垢だけどえっちな受け」と「典型的A型いい人臭しかしない攻め」の 組み合わせでほっこり…
 椿丸はしい様に拾われた時から、三大欲求を完全にしい様に依存して育ちます。


 まず、食欲
 はて、半分鬼で半分人間の子供を拾ってしまったが困ったぞ何を食べさせようとなった時、幼い椿丸は本能的に目の前にふよふよと浮いていたしょ…木の根!にかぶりつきます。食い破って出てきた汁は甘くて滋養があって美味しかったのでそれをご飯にすることにしました。


 次に、睡眠欲
 さて、幼い椿丸をどこで寝かせたものか(ここ妄想)そうだ!儂は眠らぬから膝の上が良かろう!ということで、椿丸が眠るのはしい様のお膝の上が定位置です。


 最後に残った性欲
 鬼と人間のハーフである椿丸は大変性欲が強く、幼いころは自慰で良かったのですが年頃になるとその体を持て余すようになりました。
 ある日、昼寝中の椿丸の傍を離れるのが心配で根の一部を残しておいた、しい様。本当は全てつながっていてすべてしい様の意識なのに、この根だけ別でおしゃべりできるぞ!と嬉しがります。そして、出しても出しても収まらないほど成熟してきた椿丸の身体をかわいそうに思い、しい様は根を使い手伝ってやることにしたのです。

 一昔前、無差別に本屋で手に取ったBLを読むと、高校生が出てきてなんやかんや喧嘩してヤッて「だぁのことがしゅき♡」完、というような短編に結構な確率で当たった。
 それで現在はというともうなんかヤッてりゃいいだろ!!!オラッ!どうだ!すごいだろ!!!というもうお腹いっぱいディ◯ニ〜ランドもびっくり脳内エレクトリカルパレードかよ、というお話が多くなった。ディスりたいわけではないけど、一個だけ言いたいのはエロを重視するあまり、穴と棒の位置が噛み合っていないことだ。
 え…?そこに…?穴?無くない…??

 

きちんと行為を書いて話も読ませるとはどういうことか

 話がそれたが、
 特殊な設定にきちんと年代を盛り込んで(冒頭に天正十年1582年とある本能寺の変)背景を固めていく。その上でキャラクターを配置しストーリーを作る。そうして、更にその上に行為が成り立つ。きちんと構造化されていると最後まで苦なく読むことが出来る。創作の基本ではないだろうか。
 椿丸もしい様も幸せを迎えめでたしめでたし。